連載13
あなたはこの漢字を読めますか?
ザ・ライトスタッフオフィス「漢字研究会」

コラム 当用漢字で生まれた語

 漢字を使う私たちの環境は、戦後に大きく変わった。それはなかんずく、1946(昭和21)年の、つまり敗戦の翌年に制定された当用漢字によっている。当用漢字は、「漢字制限」という方針の下で、漢字使用に大きな制限を加え、当用漢字として1850字の漢字のみを認めた。そのうえで、當→当、藝→芸というように、新字体と呼ばれる簡略字体を採用した。そうしたことから、終戦直後から日本の漢字の表記は大混乱を生じたのである。
 一例を挙げてみよう。「洗浄」ーーこの語は戦前にはなかった。戦前、一般的には「洗滌」という語が使われていた。「せんでき」と読む。「洗浄」は「せんじょう」と読み、「洗滌」は「せんでき」と読む。この二つの語は別だと普通は考えられるが、どっこい「洗浄」と「洗滌」は同じ意味の同一語なのである。
 どうしてか。当用漢字で「洗滌」の「滌」という漢字が認められなかった。しかし、〈洗い清める〉という行為は日常的に行われるし、それを表現する語がないということは不便でならない。それでは「洗でき」と表記すればいいかというと、日本人の美意識が許さない。「便所の洗でき」では、どうも格好がつかない(そういえば「格好」も戦後に生まれた表記のひとつです。元は「恰好」だ)。そこで、知恵者が考えた。まず、「洗滌」が戦前にも「せんじょう」と誤用で読まれたことに着目した。「滌」は「条」の旧字(正字)である「條」に、「?」がついたものだ。「じょう」と読まれることは、ある意味で当然ともいえた。そこで、〈清める〉という意味の「浄」という漢字を思いつく。それで、「洗浄」だ。この語を「せんじょう」と読ませれば、すべては解決する。こうして、当用漢字の採用に伴う漢字表記の改変が始まった。
 漢字表記改変の次の例は「独壇場」。これは本来は「独擅場」だった。「擅」の字も、当用漢字には入っていない。「擅・セン」と「壇・ダン」は字形が似ていることから、戦前からしばしば混用された。心理的には「土壇場」という語と似通うものがあることもあったのだろう。こうして「どくせんじょう」であった「独擅場」は、戦後「独壇場」である「どくだんじょう」に、席を譲ることになる。これは字形の類似からの語の改変の例である。
 もう少し例を挙げてみようか「台風」の本来の形は「颱風」、「過酷」も本来は「苛酷」、「気炎」は「気焔」、「薫製」も本来は「燻製」、「肝心」は「肝腎」、「包帯」は「繃帯」、「包丁」は「庖丁」、「義援金」は「義捐金」、「溶鉱炉」は「熔鉱炉」、「世論」は「輿論」「間欠泉」は「間歇泉」だったーー際限ないのでこれくらいでやめるが、これらはいずれも、戦後当用漢字の採用によって書き換えられたものだ。
 こういうと、当用漢字は漢字文化を破壊した悪者に映るかもしれない。しかし、決してそうともいえない側面があることを忘れてはいけない。中国で生まれた漢字には四万字とも、五万字ともあるといわれる。そのうえ国字といわれる漢字まである。これにどう対処するのか。同義の異体字というものもさまざまにある。そのなかには、「崎」のように「嵜」「?」といくつもの異体字がある漢字がある。それをいちいち覚えるというのは、明らかに脳の無駄な酷使のようにも思える。
 また、「浜」の旧字「濱」のように、とても書きにくい字もある。「涙」と「泪」は同じ「ルイ・なみだ」だが、どう区別すればいいのか。「弁」は現在では、「辯」「辨」「瓣」「辧」のすべてを表している。もはや私たちは「辯」「辨」「瓣」「辧」の使用法を区別できない。「弁護士」の「弁」は本来はどれなのか、「五弁の花」の「弁」はどれなのか(「辯護士」「五瓣の花」が正解だそうだ)。
 漢字の使用をある程度制限して字形も省略して簡易なものにしていこうというという試みは、日本よりもむしろ中国大陸の方が熱心で、「云」が「雲」、「无」は「無」、「广」は「広」等々と相当省略されている。中国大陸に対して、台湾は依然として旧字体を使用しているので、日本の漢字に対する姿勢は、いわば中国と台湾との中間といえるのだろうか。ある見方から言えば、日本の漢字制限は中途半端だといえるかもしれない。しかし、これは漢字に敬意を表している漢字制限だといえないこともない。
 しかも、日本では公用文や新聞に対して一定の強制力を持った当用漢字が、1981年に1945字の常用漢字に改められ、漢字制限も緩やかになっていった。この流れの延長で、新聞でも常用漢字表に記載されていない漢字の使用がだいぶ行われるようになった。
 いろんな例を挙げることができる。たとえば、「牛丼」。この「丼・どんぶり、どん」はれっきとした常用漢字表外の漢字だが、新聞はそのまま使っている。「寄せ鍋」の「鍋」も同じだ。こうした例は「瓦解」「賀状」「闇金融」「玩具」「餌食」「リンパ腺」……と枚挙にいとまがない。
 戦後の漢字制限によって生じたのか、それとも使ううちに次第に移行したのかわからない漢字表記法に、「抱腹絶倒」がある。これの本来の表記は「捧腹絶倒」だった。『史記』に「捧腹大笑」という用法がある。「捧腹」とは腹をかかえること、そこから読み方も同じ、「抱腹」という漢字表記法が出てきて、次第にそれが一般化した。現在でも律義に「捧腹絶倒」という漢字表記しか認めていない辞書もあるが。
「大盤振る舞い」も、本来は「椀飯振る舞い」だった。「椀飯」とは椀に盛った飯のことだ。それを振る舞うことが、古くは贅沢な供応とされていたのだろう。読み方も、「おうばん」と読む。それが現在では「おおばん」と読む「大盤振る舞い」が定着している。このように、当用漢字・常用漢字という制限がなくても、漢字表記法は変化していく。というよりも、ことばとは変化していくものなのだ。