連載25
あなたはこの漢字を読めますか?
ザ・ライトスタッフオフィス「漢字研究会」

コラム 数字がつく語

「零戦」から「十万億土」「無限」まで、数字がつく語は多い。これは漢字を使用している言語の特色だといっていい。英語・フランス語・ドイツ語などのインド・ヨーロッパ語系の言語の語彙には、これほど数字のつく語はないのではないか。中国語・日本語ならではの現象だろう。
 たとえば、「一念発起」という語がある。決心して何かを成し遂げようとするという意味だが、「一念」はひとたび念ずるという意味の語である。ちゃんと「一」が生かされている。「一念発起」は英語ではa firm resolutionというようだが、「一」をaで表しているのだろうか。次に、「一罰百戒」ではどうかというと、ここでは「一」はひとりの者という意味で、「百」は多いということを表している。すなわち、ひとりを罰することで、多くの人の戒めにするという意味だ。数字が、単なる数字の意味にだけとどまらずに、それ以上の意味を表すということ、これが漢数字の特色なのだ。「千客万来」の「千」は千人という意味よりも、それほど多く次々と、という意味を表している。
 さてそれでは、「二」以降の数字がつく代表的な語を見ていこう。
 まずは「二進も三進も」から。これは算盤用語から出た語だとされている。「二進」は、「二進一十」という語によっている。これをどう読むかというと、「にしんのいっしん」「にちんのいっしん」「にしんのいっし」「にしんのいんじゅう」と、さまざまである。算盤を教える師匠によって、読み方が異なったのだろう。算盤の割り算で2を2で割るときに、この文句を唱えながら2を払って上の桁に1を置くことだといわれる。「三進」の方は、それと同じ3のケースだ。こうして2で割っても3で割っても、商「1」が立って計算のやりくりができないことから、物事が行き詰まって身動きがとれないさまを、こういうようになった。
「二の足を踏む」ということばあがある。進むのをためらうさまを表すことばだ。「二の足」というのは第二歩目のことで、一歩目は歩き出したものの二歩目を前に進めないで、その場に足を踏んでしまうというわけだ。躊躇している感じがよく出ている。
「二の舞」の「二」は何かというと、これは舞楽の「案摩」から来ている。雅楽の六調子の中に壱越調(いちこつちょう)というのがあり、その調子で舞う舞楽に「案摩」という番(つがい)舞いがある。これは最初に、二人の舞い手が舞い、それに続いて老爺・老婆が登場してそれを真似して舞うが、うまくできずに滑稽な舞いになってしまうというもの。この滑稽な舞いのことを「二の舞」という。大失敗した舞いということなのだろう。
 雅楽ということでいえば、「二の句が継げない」の「二の句」も雅楽によっている。雅楽の朗詠で三段に分けて歌うときの二段目の句を「二の句」というが、第一句の後二の句が急に高音になるため、一の句から続けて歌うと息が切れ、二の句を続けるのが難しいということから出たとされる。そこから転じて、驚いたり呆れたりして、次のことばが出ないことをいう。
 続いて三。「三寒四温」――これは春先の気温の変化についていわれる成句で、三日ほど寒い日が続いた後に四日くらい暖かい日が続くことをいっている。この現象は日本固有のものかと思っていたらそうではなく、中国の華北・東北地方や朝鮮半島でも見られるようで、中国や韓国でも「三寒四温」といっている。
「三顧の礼」は中国の三国時代、蜀の劉備が諸葛孔明の庵を三度訪れて、ついに軍師として招いた故事に由来している。礼儀をつくして賢人や才人を招くことをいう。
 東京・浅草で行われる祭りに「三社祭」がある。江戸時代には三月十七・十八日に行われたが、現在は五月十七・十八日ごろに行われる。これは浅草神社の祭礼で、浅草神社がかつて「三社権現」「三社明神」と呼ばれたことから、「三社祭」と呼ばれた。「三社」は浅草神社の祭神、土師真中知(はじのまなち)、檜前浜成(ひのきさきのはまなり)、檜前武成(ひのきさきのたけなり)の三人に由来する名称だ。漁をしていてこの三人が浅草寺の観音像を網にひっかけたと伝説にある。
 なんのかんのと文句をいうことを「四の五の言う」というが、これはさいころ博打から出た言い回しだといわれる。江戸時代に生み出されたことばだが、江戸弁の歯切れがこういわしめたのかと思えばさにあらず、浪速の井原西鶴『好色一代女』でもしっかり使われているようだ。
「四方山話」は「よもやまばなし」と読むが、この語は「四方八方」の和語「よもやも」が転じて「よもやま」と発音されて生み出されたようだ。「四方山話に花を咲かせる」なんて、かつてはよくいっていたが、高度経済成長のころからあまり聞かなくなった。世間の出来事やさまざまなことについての雑談をいう。
「四君子」は美しい言い回しの語だ。植物の蘭・聞く・梅・竹の四つを気品があると考えて、こう呼んだのである。
 オリンピックを「五輪」と訳すのは、まさに漢字文化の典型である。オリンピック旗で五大陸を表す五つの輪を「五輪」と、ずばり表現したわけだ。密教で「五輪」は、物質の構成要素を円輪に見立て呼んだ。すなわち、地輪・水輪・火輪・風輪・空輪の五つがそれである。
「五月雨」は「五月」(さつき)の「さ」と「みだれ」とが合わさってできた語だ。「みだれ」は「水垂れ」のこと。陰暦五月に降り続く長雨を、「五月雨」といった。現在でいえば六月の梅雨に当たる。この「さ」と「蠅」が合わさると、「五月蠅」(さばえ)になる。「さばえなす」は「騒く(騒ぐ)」「荒ぶる」にかかる枕詞だ。
 次は「六」。「双六」「六根清浄」「六方を踏む」
「七」で面白いのは、「七転八倒」と「七転び八起き」だ。漢語の「七転八倒」は、何度も転び倒れる、世の中がひどく乱れるさま「七五三縄」
「八面六臂」「傍目八目」「大八車」「八紘一宇」「八方美人」
「九牛の一毛」「九死に一生を得る」「薬九層倍」
「十指に余る」「十中八九」「十手」「十人十色」

「十二支」「十三七つ」「十三里」「十五夜」「十八番」「二十四節気」「三十路」「西国三十三箇所」「三十六歌仙」「三十六計逃げるに如かず」「四十七士」「四十八手」「五十歩百歩」「東海道五十三次」「六十の手習い」「人の噂も七十五日」「四国八十八箇所」「八十八夜」「九十九髪」「百年の計」「百尺竿頭一歩を進む」「お百度参り」「百聞は一見に如かず」「百家争鳴」「百鬼夜行」「百花繚乱」「百八煩悩」「嘘八百」「八百長」「海千山千」「笑止千万」「千鈞の重み」「千紫万紅」「千思万考」「千篇一律」「千々に乱れる」「千六本」「三千世界」「白髪三千丈」「森羅万象」「波瀾万丈」「万里の長城」「万が一」「万年筆」「八百万」